trickkerrのブログ

映画の感想を書こうかなと思ってます。

映画「復讐者たち」――善悪は存在するのか

これ邦題がわたしにあんまりしっくり来なくて、原題の「PLAN A」そのままでいいのではと思う。

映画『復讐者たち』公式サイト

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1945年、敗戦直後のドイツ。ホロコーストを生き延びたユダヤ人男性のマックスが難民キャンプに流れ着き、強制収容所で離ればなれになった妻子がナチスに殺された事実を知る。絶望のどん底に突き落とされたマックスは復讐心を煮えたぎらせ、ナチスの残党を密かに処刑しているユダヤ旅団の兵士ミハイルと行動を共にすることに。そんなマックスの前に現れた別のユダヤ人組織ナカムは、ユダヤ旅団よりもはるかに過激な報復活動を行っていた。ナカムを危険視する恩人のミハイルに協力する形でナカムの隠れ家に潜入したマックスは、彼らが準備を進める“プランA”という復讐計画の全容を突き止める。それはドイツの民間人600万人を標的にした恐るべき大量虐殺計画だった……。

 

以下ネタバレあり。

ドイツが降伏してユダヤ人が人権を取り戻したか、失ったものを取り返せたか、というと、違う。

 

冒頭シーンの前提

この映画に出てくるマックス家族は、知人に密告され、強制収容所に連れていかれた。

マックスの家には密告した男の家族が住み、戦後、ホロコーストを生き延びたマックスが家に戻ると、殴られ追い返される。

当時のドイツでは、強制連行されたユダヤ人の家財は、それまでよき隣人であったはずのドイツ人が我が物としていった。

冒頭のシーンは、戦後になってもユダヤ人のものを返さなかった様子が描かれている。

 

「プランA」とマックスの家の台所のシーン

「プランA」は第二次大戦後、ホロコーストで殺された600万人のユダヤ人の仇に、ドイツ人600万人を殺そうとした計画である。

この映画では、戦後の復興を急ぐドイツ国内の主要都市の水道水にナカムが毒薬を混ぜ、ドイツの一般市民を殺そうとしていた。

映画ラストに、もし「プランA」が成功していたらというifを描写した、道に死に絶えたドイツ人たち老若男女の亡骸がたくさん転がっている、というシーンがある。

水道から出る水に毒を混ぜることは、そういう結末を意味する。

 

さて、水道。

アヴァンタイトルのあと、本編ファーストカットかな、マックスのものだった家の台所で、ドイツ人の奥さんが料理をしているところ。

水道の蛇口がすごく綺麗にピント合わせられてるんですよね。

「これがこの映画のポイントだぞー」とばかりに。

ここ好きです。

 

あと、この台所で料理しているのが、家庭的で良いように見える。

ユダヤ人が奪われた家の台所が、収奪者の家庭のあたたかな一部になっている。

とても怖い。

 

復讐の戦略

この「プランA」が成功していたら、ユダヤ人のイメージは「ホロコーストの犠牲者」から違ったものになっていただろうか。

 

「プランA」を進めようとするナカムを止めようとしているのは、ユダヤ旅団に所属していたシオニストのミハイル。

そもそもホロコーストユダヤ人が標的になったとき、ユダヤの民族国家がなかったから、ユダヤ人の権利が守れなかった。

ユダヤ人の権利を守るために国を作らなければならない。

ユダヤ人国家建国のためには、ユダヤ人が悲劇的な犠牲者であるイメージのままであることが有利に働く。

権利が守られる国でたくさんの子孫を残すことが、ユダヤ人絶滅を掲げたナチスに対する復讐となる。

 

ユダヤ人組織ナカムは、奪われたものと同じものを奪う復讐をしようとする。

目には目を、歯には歯を、600万人の命には600万人の命を。

ナチス政権化でドイツ国民は、ユダヤ人がどんどんいなくなっていくことを知っていたし、ユダヤ人への差別感情を隠していなかった。

ナカムにとってはドイツ国民すべてが、ユダヤ人の悲劇の加害者だった。

 

ミハイルはパレスチナにいて、直接ホロコーストを見ていたわけではない。

ナカムのメンバーは、目の前で大事な人を連れ去られ、殺された人たちだ。

これからのユダヤ人の権利を守りたいミハイルと、ドイツ人を許せないナカム。

 

ユダヤ人国家建国もドイツの民間人殺害も、 復讐となる。

マックスはどちらを選ぶのか、というのがこの映画のストーリー軸かな。

 

生き残ることは善か悪か

妻子を失ったマックスは、強制収容所でカナダ係をしていた。

連行されたユダヤ人の荷物を集め、倉庫にまとめる仕事である。

持ち主のいなくなった荷物から、命を繋ぐのに必要な物資をこっそり盗むことができるから、収容者の中でも生存率は高くなる。

おそらくマックスはそうやって、同胞のものを奪って生存した。

 

個人が生き延びることは、何より優先されることだとわたしは思ってる。

でも、そうやって生き延びることは、善いことだろうか。

 

明日は自分がガス室行きの列に加わっているかもしれない極限状態で、心を殺さざるを得なくて、そうやってしか生き残ることができなかった人に、「それは善いことでしたよ」「それは悪いことでしたよ」なんて、言えるわけがない。

そして、マックスは、生き延びたあとも自分がやってきたことを考えつづけることになる。

他人からすると「生きていて良かったね」と言ってしまえるかもしれないけど、それはその人にとって「善いこと」なのかはわからない。

ここにおいて善悪という価値観が意味をなさなくなる。

 

 映画「復讐者たち」を観たあと

自分はどう生きていきたいか、生きていきたいと思ったやり方で生きていけるか。

サスペンス仕立てに作られているけど、時代とか社会とか環境とかに巻き込まれながら「わたし」はどう生きていきたいか、生きていけるのか、を考えさせる映画でした。

わたしは冒頭の台所のシーンだったりの日常的なところがおもしろくて、好きだなあと思いました。

人間はこわいよ。

 

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